岡村美香プロフィール

はじめまして!
自宅教室の集客×売上UPコンサルタント
岡村美香です。

毎月150人集客する満席教室を13年開催し、
2020年の秋から
集客コンサルタントとして
教室の先生のための集客講座を主宰しています。

コンサルタント活動2年目で
年商3700万になり
ありがたいことに今年は
月商1000万も達成しました。

LINE登録人数は5000人を超え
インスタは1万フォロワーになりました。

直接コンサルをした受講生も
月商400万、200万、100万以上に
なっている方がすでに26人。

(教室業だけで、単価10万程のコースで、
月商100万売り上げた
という先生もたくさんいます!)

売上up、集客力up、
即満席ができるようになったことで
自分にも教室にも
心から自信が持てるようになり

「なぜ、そんなに結果が出ているの?」
と同業者にも驚かれるような
講座になっています。

…と前置きが長くなりましたが、
私がなぜ教室集客の講座を始めたか?
なぜ教室にこだわっているのか?

生い立ちからお話ししていきますので、
長~くなりますが、
お付き合いいただけたら嬉しいです。

順調だった子供時代

1977年、横浜で私は生まれました。

小さいころから、母が本気で
「すごいね~!」「素晴らしいわ~」
「お前は何でもできる!大丈夫!」
と褒めてくれる人だったこと。

父が常に自信満々の人だったこと。

そんな両親のおかげで、
小さいころから自己肯定感は割と高い方でした。

成績も良い方で、
コンテストで賞を取ったり、
優等生を絵にかいたような子供だったのですが

子供のころは
大人に気に入られるように振舞い、
周りの目ばかりを
気にしていた記憶があります。

勉強は好きだったので、
高校は地域で一番の進学校に入ることができました。

しかし、
周囲の友達も偏差値が高い人ばかりになり、
平均点以下ばかりの点数と成績がた落ち…。

高校になって初めて「挫折」を経験します。

 

「初めての挫折」からパティシエを目指す

普通に勉強しても全くついていかれない。
テストは平均点以下が続く…。

高校入学のその日から、
先生が「大学受験」の話を始め、
そこで始めて

「高校を選ぶということは、その先の進路を決めてしまったのだ」
とショックを受けました。

私は15歳で、
もうその先を決めてしまったのだろうか?

何も先の事を決めずに高校に来たけど
私のなりたいものは何なんだろうか?


勉強での挫折を感じていた私は、
大学ではなく
「お菓子の学校に進みたい」と考えます。

今思えば、
「挫折からの逃げ」だったのだと思うのですが、
その当時はそこまで考えられませんでした。

当時、食べることと
お菓子作りが大好きだったので、
なりたいものを突き詰めた時に
出てきた答えが「パティシエ」だったのです。

ほとんどの生徒が浪人してでも
大学に行く進学率100%の学校で、
親と担任の先生を説得し、
1人で製菓専門学校の資料や体験入学を周り、
本気なのを示しました。

周りの友達が自習をする図書館で
お菓子の本だけを読み漁り、
たくさんのケーキを作って試食し、

体験して一番素敵だと思った
製菓学校に進学が決まりました。

製菓専門学校で学ぶことは毎日新鮮だったし、
新しい友達との出会いに充実した毎日でしたが、

心のどこかで、
「私は敷かれたレールを自分から踏み外してしまった」
という気持ちを抱えていました。


「でも、パティシエで成功さえすれば!
専門学校の入学金がこんなに高いんだから、
パティシエになりさえすれば
凄く稼げる仕事なんじゃないか?」

と18歳の夢見る頭で考えていたのです。

就職、そしてパティシエに…

専門学校は1年間で卒業だったので、
私は19歳で社会人になりました。

たくさんのケーキ屋さんを回って
決まった就職先は、

シェフが何度もテレビや雑誌に
出ているような、
都内の一流フレンチレストランでした。

 

しかし、パティシエ希望で入ったにも関わらず、
そこで私に用意されていた仕事は
「レセプション」という
レストランの予約受付と案内係でした。


憧れのコックコートも着れず、
キッチンの中も見れず、給料は月12万5千円…。

厳しい先輩の言葉に毎日
「パティシエになりたかったのに、
私は一体何をしているのだろう…」
とモヤモヤしてしまいます。

たった3ヵ月で、
私はシェフに辞表を出していました。


私の話を聞いてくれた上司が
「やめ癖、逃げ癖をつけないでね」
と言って見送ってくれたことが、
ずっと心の片隅に残っていました。

それでも私は
「今度こそパティシエで働くから、大丈夫!
夢を叶えるから大丈夫!」
と思い、フレンチレストランを辞めました。

次に働く店はすぐに決まりました。

有名ではないけれど、
近くの住宅街ですごく売れている
ケーキ屋さんに就職することができました。

給料は12万5千円から15万円に上がりました。

憧れの仕事が出来る!

喜びでいっぱいの私は、
休憩は15分でほとんど座ることがなくても
楽しくて仕方ありませんでした。

そう最初のうちは…。

しかし、ケーキ屋にとって
一番売上の少ない夏が終わると、
秋が来て、一番忙しい冬が来ます。


パティシエの12月はほぼ休みがありません。

そのお店は週休1日でしたが、
12月は2日しか休めませんでした。

朝は7時半から、
夜は終電に飛び乗る日が続きます。

お店はとても忙しくて、
ちょっとした雑談も怒られました。

私語は禁止、朝から晩まで立ちっぱなし、休憩は15分。
大きな冷凍室から25キロの粉を
運んだりするのも下っ端の私の仕事でした。

水仕事も多く、手は赤切れだらけになり、
毎日の疲れでフィナンシェ型にバターを塗りながら
居眠りをしてしまったこともありました。

19歳で就職したので、私は20歳になっていました。

しかし、冬場は戦場のように忙しいお店で
「成人式、休めないですよね?」と
勇気を出して聞いてみたものの、
一笑されただけで休みは取れませんでした。

フラフラで帰って、
食べる事しか楽しみがなく

家族が寝静まった家に帰り
ご飯を丼で2杯食べるような食生活になり
気がついたら体重は10キロも増えていました。


初めてのクリスマス、
そして年末年始のお年賀ギフトのシーズンが続き、
バレンタインに入るころ、
私の心と身体はボロボロになっていました…。

自分がなりたい職業になれたのに、
自分で道を選んだはずなのに…
私の頭の中はまた「辞めたい。逃げたい。」
という言葉が浮かぶようになりました。

「パティシエになりたい」と
言ってきてやっとなれたのに、
また私は逃げてしまうのか。

結局自分は口ばかりで、何もできないのか。

「私はパティシエになるから」と言ってきた
今大学に進学している友人たちに、
両親に、学校の先生に、あの時の上司に、
何と言えばいいのか…。


そんな自分を本当に情けなく思い、
疲れ果てた頭は、

ただこの場からいなくなりたい、
ここから飛び降りたら楽になれるかも…
という発想ばかりになっていました。

辞めたい、逃げたいと
思っているなんて、誰にも相談できない。

今この忙しい店を辞めたら
それこそ他の誰かに迷惑がかかる。

辞めれない、苦しい、ツライ、自分が情けない…

今思えば、
これが鬱の症状だったのだと思いますが、
25年も前の事。
当時は「鬱」なんて言葉を知りもしないころです。


終電の駅のホームで、
帰り道の暗い歩道橋の上で、
何度も「ここで飛び降りたら…」
という考えが過りました。

なんとか踏みとどまらせてくれたのは、
両親の悲しむ顔が浮かんだからでした。

結局、そのお店を1年程で、
私は突発的に辞めてしまいました。

たくさんの人に迷惑がかかり、
パティシエになりたくて中途半端に挫折した私が残りました。

 

目的もない、やる気の出ない人生からカフェ店長へ


そこからは
今までの友達に会うことを避けるようになり、
人生の目的をなくしてフラフラする数年が続きました。

ずっとずっと、パティシエになる!
と頑張ってきたのに、
何者にもなれない私はどうしたらよいのか?

中身が空っぽの状態で、
何も考えられずに、
ただその日一日一日をやり過ごしていました。

フリーターになり、
倉庫内作業の派遣や、デパートの調理器具販売、
いろんなバイトを経験したのですが、
それでも最終的にはケーキに携わったり
飲食の仕事を選んでいる自分がいました。

やはり心の奥底で、
飲食の仕事が好きで、
どうしても離れられずにいたのです。

一番楽しくて続いていた
カフェのキッチンの仕事で、
ある日「店長にならないか?」
と社長から声をかけられました。

その時、私は24歳になっていました。

そのカフェには私より長く働いている人も、もちろん私より年上の人もいたのですが、社長は私に声をかけてくれたのです。

フラフラしていてこの先どうしよう
と思っていた矢先、社会に出てから始めて
「自分が認められた」と思った瞬間でした。


出来るかどうか、ということより
「やってみたい!」という一心で
カフェの店長を引き受けていました。

雇われ店長でしたが、
バイトの立場とバイトを管理する立場では
全く考えが変わり、働き方が変わりました。

バイトの学生やフリーターが、
どうしたら長く続けてくれるのかを考え、
育てることにやりがいを感じました。

 

共同経営者としてビジネスを学ぶ


店長を任せられて3年が経った頃、
今度は友人から、
3人で飲食店を出さないかと誘われました。

雇われ店長から、共同経営者になるチャンス。
自分が考えたメニューを出せる!

うまく行くかは分からないけど、
ワクワクするその計画に私は乗ることにしました。

飲食店は無事オープンし、
3人の共同経営も
それぞれ役割分担しうまく行きました。

3人の中で言い出しっぺの
平沢くんが社長になったのですが、
彼は頭もよく、たくさんの本を読んでいて、
その平沢くんに教わり
経営や戦略の基礎を学んでいきました。

驚くほどに店はうまく行き、
うまく行き過ぎて、3人がそれぞれ主張し
不仲になってしまいます。

結局店は平沢くんが1人で続けることになり、
私は30歳にしてまた
フリーターに戻ってしまいました。


また仕事を辞めてしまい、
再び頭の中で「やめ癖、逃げ癖をつけないでね」
と言われた元上司の言葉が響くようになります。

 

パティシエの夢も消え、
お店を持つ夢も消え、
結局私は何も有限実行できない…。


これから一体何をしていけばいいのか…?
ただただ途方に暮れました。

またフリーター生活に戻ることも考えられず、
31歳といい歳になっていた私は、
とりあえず婚活でもしてみようかな?と思います。

そんな婚活を始めた時に出会ったのが
「料理合コン」でした。


料理合コン…「料理」と「合コン」の合体!
見つけたときは衝撃でした。

いつか料理教室がやれたらな…
なんてぼんや~り思ってたけど、
「これなら私にもできそう!」とワクワクし、

すぐに主催していた会社に
雇ってもらえないか問い合わせたのです。

返ってきたのは
「すでに料理教室をやっている先生に委託してます」
という答えでした。

なるほど、すでに教室を
やっていなくてはいけないのか…。


ん?それなら、
自分で一から教室を始めて、
雇われずに自分で「料理合コン」やっちゃえば?

と思ったのが、
私の独立起業のスタートでした。

すごいポジティブで短絡的ですよね。笑

料理教室で独立起業!

腰を上げるのはとっても時間がかかるのですが、
上げ始めたらそこから
猛ダッシュで突き進むタイプの私。

料理合コンに出会ったのが2009年2月。

料理教室の仕組みを学ぼうと
3月に新宿の辻クッキング教室で
アシスタントとして雇ってもらい、

7月にはブログを立ち上げ、
第1回の参加者募集をしていました。

私が教室を猛スピードで
開催できた理由の一つに、

共同経営していた飲食店の空き時間を、
料理教室会場として格安で
使わせてもらえたからというのもありました。

しかし、
教室開催半年ほどして
その飲食店が立ち退くことになり、

とうとう自分で
物件を探さなくてはならなくなります。

1ヶ月で不動産屋を回りまくり、
今まで住んでいた家賃6万のワンルームから、
自宅兼教室用に、
家賃13万円で60平米の1LDKを契約しました。

当時、私は31歳の独身でした。
お付き合いしている相手もなく、
この先結婚できるかもわからない。

「教室の夢のためなら!」と思い切りましたが、
契約にかかるお金や家具や引っ越しで
約90万円が飛んでいきました。

教室の場所は駅から遠くなってしまったし、
「これで人が来なかったら、
私は月13万の家賃を払っていけるのだろうか…?」
と思うと、怖くて怖くて、

契約前の1週間は毎日、
悪夢を見てうなされるほどでした。

 

新しい場所に移転、新しい環境、
先の見えない決断をしなければならず、
誰にも頼れない1人での起業は
ワクワクする反面本当に恐ろしかったのです。

お金への不安は、気持ちも貧しくします。

お客様からの予約が入るまでは、
不安で不安で、
一日使うお金は700円まで、と決め、
無駄使いは一切しない生活をしていました。

それでも少しづつリピーターさんもつき、
教室は順調に回り始めました。

店長時代、共同経営時代も、
一番楽しかったのが
自分が教えて育っていく人の
成長を見ることでした。

料理教室という短時間の中でも、
自分が教える料理で
「料理ってこんなにカンタンに出来るんですね!」
と喜んでくれることにやりがいを感じ、
これこそが天職だと思いました。

自分の決めたメニューで、
自分の考えた構成で、
自分の好きなインテリアや音楽の中で、
お客さんが笑ってくれる、
美味しいと言ってくれる、喜んでくれる…。

今まで3年単位で
職を転々としていた私にとって、
ストレスのない働き方は本当に幸せで、
これならば続けていかれる?
いや、何が何でも続けていきたい!!と思いました。

モテテクを研究して、
生徒さんに婚活の事を教えているのに、
ずっとモテないキャラだった私にも
彼氏ができ、2012年に結婚。

2013年には長女を出産、
その3年後に長男が生まれ、
結婚、出産、子育て…と

自分のライフステージが変化しながらも、
自宅教室という働き方だから
続けてくることができたのです。

出産後、月のレッスン半分が開催中止に…

そんな私の教室も、
ずっと順調だった訳ではありません。

料理合コンなので、
常に新規のお客様に
来てもらわなければならないのです。

最初の方は「婚活ブーム」の影響で
うまくいっていたのですが、
ある時じわじわと申し込みが減り始め、
集客が全然出来なくなりました。

2016年、下の子の妊娠出産で
教室を3ヵ月休業し、復帰したときでした。

1人目長女の出産の時も3ヵ月の休業をし、
二人目の休業が続いてしまったこと。

育児に追われ、
メニュー作りやブログを
サボっていたことは、
ジワジワと客離れを起こしていました。

今でこそ、子育てと教室との両立が
できるようになりましたが、

やはり、初めての育児は大変で、
教室の方にしわ寄せがきていました。

2時間の教室の間、
別室で母に子供を見てもらい、
泣き声にヒヤヒヤしながら教室を開催したり、
生徒さんの試食時間に
サッと様子を見に行き戻ったり…。

いつも子供たちを見てくれている
母が膝を痛めて入院し、
数ヶ月来れなくなったときは
託児所代で売り上げが消えていきました。

ベビーカーを押して、
歩いて20分の土日もやっている託児所に預け
また20分かけて戻り、
2時間の教室中に預かってもらいました。

休日保育をしてくれる保育園は元々少なく、
一時預かりの枠もほぼ空かないので、
予約もなかなか取れません。

近くの保育園の予約が取れなくて、
遠くの保育園まで
1時間に1本しかないバスを乗り継いで向かい、
2人の子供をお願いすることもありました。

そんな状況に加え、
テレビでは「結婚しない若者たち」という
特集が組まれ始め、
生涯独身率という言葉が出て
「婚活ブーム」が危うくなっていました。

募集をかけても全然申し込みが入らない、
人数が集まらず開催ができない
レッスンが月半分くらいになり、

売り上げはどんどん減っていき
赤字擦れ擦れの状態に…。

さすがにこれはマズイと焦り、
そこからは必死で、
集客の事も一から勉強しました。

ホームページの事も学ぼうと
webデザインの講座に通ったり
SNS集客の講座に入ったりして、
気がつけば学びの総額は100万になっていました。

教室も婚活の「お料理合コン」1つだと
リスクがあるので、

通常の「料理教室」と
当時流行り始めていた
「アイシングクッキー教室」の3つに
メニューを増やしました。

発信やメニューの充実に
試行錯誤するうちに、
少しづつですがお客様が
戻ってくるようになりました。

集客って、大変、ツライ、難しい…
ってイメージがあったのですが、

本質は「自分の教室を必要としている人に
知ってもらうようにする作業、
ひたすらファンづくりをしていく作業」
なのだと気が付きました。

それが分かってからは、
集客に対する苦手な気持ちがなくなり、
むしろ頑張れば頑張るほど
数字で結果がどんどん出る
集客を楽しめるようになっていました。

メルマガやLINEに
登録していただくようにして、
リピーターさんを増やす努力をし、

来月の告知をすれば
24時間以内に40~50席が
埋まるようになりました。

そして気がつくと、
教室はキャンセル待ちがでるほど
順調に回るようになり、
無事に10周年を迎えることができていました。

「集客を教えて!」

学びの一つの写真スタイリングの教室に
通っていたとき、そこの先生に
「月100人!?どうやって集客しているの?」
と聞かれ、

少しお話ししたら
「すごい!ちゃんと教えて!講座にしてほしい」
と言われ驚きました。

そしてその時に、
集客に悩む先生はいっぱいいて、
私の経験や学んできた知識は
先生たちのお役に立てると気が付いたのです。

実際に、教室の技術は
お金や時間をかけて学んできたのに、

集客やネット、SNSの事は
全く学んでいないという
先生がほとんどでした。

私が集客をお教えすることで
「知らなかった!」
「何も考えずにただ発信してた!」
と感動され、感謝されるようになりました。

インスタのテクニックをお教えしたら
「1日で50フォロワー増えてました!」
とビックリされ、

「お問い合わせが来ました」
「予約が入りました」と、
短期間で結果を出す先生が出てきたのです。

私の学んできたことや経験が、
他の先生にも役立つのは、
新たな発見であり希望になりました。

…もしかしたらこれで、
潰れていく教室を
減らすことができるかもしれない!

ちゃんと学んで10年先も愛される教室に!

人生の目的を失い、
今までフラフラといろんな職業を
経験してきたからこそ、
自信を持って断言します!

家にいながら自分のペースで、
好きなことでちゃんと収入を得られる
「自宅教室」という働き方は、
女性にとって最高の働き方だと思っています。

独身、結婚、妊娠、出産…
というライフステージがどんどん変化しても、
引っ越しをして場所を変えても、
教室の先生はずっと続けてくることができました。

ただ、始めてみたものの、
ちゃんと集客できず、
月10万も収入を得られていない
教室はすごく多い。

ひっそりと辞めていく先生も
たくさん見てきました。

起業の世界に足を踏み入れた今、
多くの人が
生きる目的や好きなこと、
自分の強みを見出せない中で、

教室の先生は
何が好きなのか、得意なのか、
もう決まっています。

これが好き!これを仕事にしたい!
というものに出会えた
というだけでも、幸せだと思うのです。


せっかく出会えた
好きな仕事を続けてほしい!

最高の仕事を簡単に手放してほしくない!


昔の私のように、
逃げる人生にしてほしくない!

ちゃんと学べば、
1,2年で人生は変えられる!
10年先まで愛されるお教室は作れる!

…そんな想いから、
教室のための【集客に特化した】講座を作りました。

素晴らしい技術を持った先生は
たくさんいるのに、
集客方法を知らないばかりに
その技術を広められないままです。

なんとかその技術を広めたい!
趣味の教室を脱して欲しい!


集客ができれば、
教室の先生はもっと楽になれる!

幸せな教室の先生をいっぱいにして、
幸せな生徒さんをいっぱいに!

家族時間も自分の時間も大事にしながら
自信と収入を手に入れて
輝く女性がいっぱいの世の中にしたい

まずはあなたが満たされ
そしてあなたの技術で
幸せな生徒さんを増やしていただけたら。

何もできない、仕事が続かない
誰の役にも立てない…
と思っていた私は、
教室に出会うことで救われました。

あんなに仕事が続かなかったのに
今では、
誰かの役に立てていることが嬉しくて、
ついつい仕事をし過ぎてしまいます。

そんな気持ちで
毎日たくさんの先生方に
集客について熱くお話ししています。

集客ができるようになると、
教室がビジネスになると、
人生も教室ももっと楽しくなる!

生きがいとしての仕事に出会えます。

趣味の教室ではなく
あなたしかできない一生の仕事にしませんか?

そのお手伝いが
少しでもできたら嬉しいです。

長くなりましたが、
ここまで読んでいただきまして
本当にありがとうございます!